2015年06月10日

藤田伸二騎手の「恫喝逃げ」 競馬ライターや記者が証言

■2015/6/10 藤田伸二騎手の「恫喝逃げ」 競馬ライターや記者が証言
■2014/9/16 落馬怪我の佐藤哲三騎手、復帰叶わず引退表明 一番好きだった騎手
■2013/2/1 アンカツ(安藤勝己)ついに引退「幸せな騎手生活だったと思います」

■2017/01/15 引退騎手まとめ
 繋がりは薄いものの、引退騎手関係の話で1セットにしました。

■2015/6/10 藤田伸二騎手の「恫喝逃げ」 競馬ライターや記者が証言
 元記事の主な話は、武豊不調の原因 エージェント制、社台、アドマイヤの近藤利一で書いています。ここでは別の話。

-----引用 ここから-----
藤田伸二騎手「武豊を潰したのは社台とアドマイヤ」(2)フェアプレーができない騎手に苦言 | アサ芸プラス 2013年6月18日 9:59 AM

 藤田は岩田と福永がよほど嫌いなのか知らないが、

〈成績がいい人が腕もないのに若手を威圧している。康誠とか祐一は、しょっちゅう制裁を食らっているけれど、それでいてジョッキールームでは若手に対して「危ないじゃないか」と怒っている〉

 ともバラしている。藤田ファンの作家・亀和田武氏はこう話す。

「フェアプレー賞を取り続けたことを誇りに思って、それができない騎手に苦言を呈する。男藤田の純情があふれていると思います。藤田はレース後に検量室に戻って若い騎手をシメることがよくありますが、そういう背景がよく表れていますね。この著書にも具体的に書かれていますし」
http://www.asagei.com/excerpt/14129
-----引用 ここまで-----

 えっ、藤田騎手がフェアプレー賞? そうだったんですか、それは知りませんでした。
 騎乗中はともかく、騎乗後はそうでもないイメージ。記事でも以下の点を指摘していました。

-----引用 ここから-----
「札幌や函館ではいわゆる藤田ラインの騎手、例えば藤岡佑介(27)、松田大作(34)、池添謙一(33)などは、藤田が逃げると誰も競っていかないのが暗黙の了解でした。若い騎手がスッと競ったりすると、レース後に競馬新聞を叩きつけて『お前、流れが読めねぇのか』などと詰め寄っていた。競馬だから競ってナンボなのに。記者の間では“恫喝逃げ”と呼んでいました」(前出・トラックマン)

 競馬ライターがあとを引き取る。

「かつて三浦皇成(23)が競りかけて藤田が恫喝した際、河野通文調教師が『ウチの騎手に何を言うんだ』と怒った件もありましたね」
-----引用 ここまで-----

 藤田伸二騎手の恫喝逃げは有名ですが、実際にこういうエピソードがあるんですね。

■2014/9/16 落馬怪我の佐藤哲三騎手、復帰叶わず引退表明 一番好きだった騎手
 落馬で怪我していた佐藤哲三騎手が引退表明されました。懸命のリハビリをされていたものの、復帰は叶いませんでした。

-----引用 ここから-----
佐藤哲三騎手が引退表明「楽しかった」/競馬・レース速報/デイリースポーツ online 2014年9月16日

 タップダンスシチー、エスポワールシチーなどのコンビで、JRA・G16勝を挙げた佐藤哲三(43)=栗東・フリー=が騎手を引退することが明らかになった。(略)騎手としての復帰を目指し、6回に渡る手術とリハビリを続けてきたが、現役続行を断念することになった。
http://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2014/09/16/0007334926.shtml
-----引用 ここまで-----

 「いいジョッキーになりたいと思って26年間やってきたけど、楽しかった。後悔はあるけど、ずっと一生懸命やってきたので。騎手としての馬乗りは諦めたけど、馬に乗ることを諦めたわけではありません。これからは外からJRAを盛り上げたいと思います」というコメント。

-----引用 ここから-----
佐藤哲三騎手が引退を決意 落馬事故からの復帰叶わず | netkeiba.comニュース 2014年09月16日(火)12時02分

 佐藤騎手は2012年11月24日の京都10Rで落馬。その際に内回りコースの柵の支柱に激突し、左上腕骨開放骨折、左肩甲骨骨折、腰椎横突起骨折、左尺骨骨折、右大腿骨骨幹部骨折、左足関節脱臼骨折、外傷性気胸、左腕神経損傷など、全身に大ケガを負った。
http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=90656
-----引用 ここまで-----

 通算成績は10570戦938勝(JRA重賞45勝)。1000勝まであと少しでした。
 また、誕生日は明日だったんですね。その前に…という引退表明でもあったようです。

-----引用 ここから-----
佐藤哲三が現役断念 落馬ケガの回復困難 - 競馬ニュース : nikkansports.com [2014年9月16日8時49分 紙面から]

 日常生活さえ危ぶまれる大事故から6回の大手術と連日のリハビリで復帰へ壮絶な努力を続けてきた。2年近くが経過したが、医師からは再び騎乗できるまでに体が回復するのは難しいと告げられた。明日17日に44歳となる年齢的なものもふまえ、現役を続けるのは厳しいと判断した。

 奇跡を信じて戦ってきた佐藤騎手は、悩みに悩み抜いて結論を出した。これまで馬券を買ってくれるファンが、燃えさかる炎のようなモチベーションを支えてきた。しかし、もうアグレッシブな騎乗は困難と認めざるを得なくなった。騎手としてのポリシーは「ファンに迷惑をかけるような騎乗しかできなくなったら辞める」。その信念を曲げることは絶対にできなかった。
http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20140916-1367394.html
-----引用 ここまで-----

 佐藤哲三騎手はたぶん初めて好きになった騎手ですね。最近どうだったか?と言われると言い淀むところもありますが、一番好きだった騎手という自体も長くありました。たいへん残念ですが、ご苦労様でしたという感謝の気持ちでいっぱいです。

■2013/2/1 アンカツ(安藤勝己)ついに引退「幸せな騎手生活だったと思います」
 私が競馬に興味を思ったのはオグリキャップが最初ですので、安藤勝己さんは特別な騎手の一人です。

-----引用 ここから-----
さらば「アンカツ」…、安藤勝己騎手が現役引退を発表
[騎手] 2013年01月30日(水)21時05分 nekeiba

 30日、2003年3月から地方競馬所属騎手によるJRA移籍のパイオニアとして、地方所属時代から「アンカツ」の愛称でその剛腕を知らしめ、移籍後は約10年に渡り圧倒的な手綱捌きでGI・22勝を挙げた安藤勝己騎手(52歳、栗東・フリー)が、明日31日をもって騎手免許を返上、現役を引退することになった。(略)

 安藤勝己騎手は、1976年に笠松所属として16歳でデビュー。それから36年と約4か月、JRA所属に変わって約10年。数えきれない敏腕、剛腕、随所に光る頭脳プレーに加え、ゴール前で唸る独特の「風車ムチ」…。中央競馬に新たな価値観を投じた独特の手綱捌きは、ファンならずとも多くの関係者にも衝撃を与え続けた。

 また、同騎手の功績は、自身の技術以上に、のちに続く小牧太騎手(45歳、栗東・フリー)、岩田康誠騎手(38歳、栗東・フリー)、内田博幸騎手(42歳、美浦・フリー)ら、地方所属トップ騎手のJRA移籍へと繋げる「パイオニア」として、歴史的な役割を果たしたことが挙げられる。
http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=72210
-----引用 ここまで-----

 そうですね、地方からの中央移籍という功績もすごいですね。

-----引用 ここから-----
 JRA移籍前は、地元笠松競馬所属時代のオグリキャップの主戦騎手を務めたほか、1995年には笠松のライデンリーダーで4歳牝馬特別を制した。その後も、笠松(東海)所属馬とともにJRAに頻繁に参戦。1999年京阪杯(GIII)をロサードで制し、JRA所属馬で重賞初優勝。2003年春にJRA移籍を果たすまでに重賞10勝。

 2003年3月には、「過去5年間に中央競馬で年間20勝以上の成績を2回以上挙げた騎手」という、当時の安藤騎手のために設けられたような新ルール(2010年から一部変更)を無事にクリア。晴れてJRAへの移籍の夢を叶えると、翌週にはオースミハルカでチューリップ賞、タガノマイバッハで中京記念をいずれも4番人気で制して、連日の重賞ジャック。移籍から1か月も経たない3月30日。ビリーヴとともに挑んだ高松宮記念を見事に制し、JRA所属騎手として悲願のGI制覇を果たしたほか、その後も、同年菊花賞ではザッツザプレンティでクラシック競走初制覇。移籍初年度は、いきなり112勝(3月からの計算)を挙げた。

 2004年には、キングカメハメハでNHKマイルC、日本ダービーを制して「ダービージョッキー」の称号も手にするなど、2004年はGI4勝、年間127勝。

 以降の活躍は枚挙に暇がなく、特に桜花賞は2006年キストゥヘヴンを皮切りに、2007年ダイワスカーレット、2009年ブエナビスタ、2011年マルセリーナで実に4勝。中でも、桜花賞含めて、通算12戦でGI4勝、重賞6勝を挙げて2着4回と連対率100%で競走生活を終えたダイワスカーレットには、デビュー以来全てのレースに騎乗。同世代の牝馬にして最大のライバル・ウオッカとの激しいつば迫り合いを演じて、ファンを魅了した。

 年齢が50歳台に差しかかった近年は、減量苦もあって騎乗数を極力減らす方針を取っており、2011年4月の桜花賞・マルセリーナを最後にGI勝利からは遠ざかる形。それでも、同年の日本ダービー、菊花賞、神戸新聞杯などでウインバリアシオンの手綱を任され、3冠馬オルフェーヴルを相手にいずれも2着。敗れはしたが、次々に策を打ち出してライバルホースを相手にファイティングポーズを取り続ける、「アンカツ魂」をアピールした。

 その後も少数精鋭の騎乗スタイルは崩さず、その中で2012年も重賞4勝を挙げた。ただ、昨年11月24日の京阪杯(パドトロワ・15着)を最後に騎乗しておらず、今後の去就がにわかに注目されていた中で、今日午後の正式引退発表となった。
-----引用 ここまで-----

 そう、最近見なくてどうしたのかな?と思っていました。寂しいですけど、この年齢ですからね。

 別記事。

-----引用 ここから-----
アンカツ、笑顔で引退「自分のイメージする競馬できなくなった」
(2013年1月31日06時05分 スポーツ報知)

 地方出身騎手として初めてJRAに移籍し、一時代を築いた安藤勝己騎手(52)=栗東・フリー=が本紙既報通り、現役引退を決意。30日に栗東トレセンで記者会見を開き、「自分のイメージする競馬ができなくなった」ため、37年にわたる騎手生活にピリオドを打つことを明かした。きょう31日に騎手免許を返上する。(略)

 いつも通りの柔らかな表情だった。安藤にとって、16歳でデビューした笠松時代から、37年間にもわたる騎手人生との決別。「決めてからは、案外さっぱりしていました。寂しくないと言えば、うそになりますけどね。G1も勝たせていただいて、名馬にも乗せていただいた。幸せな騎手生活だったと思います」。(略)

 引退という文字が頭に浮かび始めたのは、昨年の春だ。レースで好位を狙いに行くと、抑えが利きにくくなって折り合いを欠く。そのため、後方から運ぶ消極的にも映る競馬を余儀なくされることが増えてきた。「関節が硬くなって、馬とうまくコンタクトを取れずに負けることが多くなった。自分のイメージする競馬ができなくなった。潮時かなと思いました」。同じように笠松からJRAの門を叩いた1歳上の兄、光彰さんが昨春に引退したことも、現役にこだわってきた強い気持ちを大きく揺さぶった。

 名馬との思い出が、数多く浮かぶ。笠松では、あのオグリキャップに、95年の報知杯4歳牝馬特別(現報知杯FR)を制したライデンリーダー。中央での思い出の馬としては「すごく強い馬」と振り返るキングカメハメハに、「すばらしいスピードがあった」ダイワスカーレット。時代を彩るサラブレットの背中が、アンカツを支えてきた。

 今後は未定だが、競馬への愛情が冷めることはない。「今後も競馬に携わることができれば、幸せかなとは思います。やり残したこと? ないですね。自分の中では満足しています」。最後まで自然体を貫き、静かにステッキを置いた名手。その軌跡は、いつまでも日本の競馬史の中で輝き続ける。

 ◆安藤 勝己(あんどう・かつみ)1960年3月28日、愛知県生まれ。52歳。1976年に笠松でデビュー。地方所属時に通算3299勝を挙げ、42歳となった2003年にJRAに移籍。JRAでの通算成績は6593戦1111勝(地方所属時代も含む)。G122勝は、グレード制を導入した84年以降3位。07年にはJRA年間G1最多タイの6勝をマークしたほか、05年1月29、30日には7戦連続連対、9騎乗機会連続連対のJRA最多タイ記録を樹立している。
http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130130-OHT1T00185.htm
-----引用 ここまで-----

 あと、毎日新聞というスポーツ紙じゃないところで一問一答がありました……と思ったら、スポニチだったようです。

-----引用 ここから-----
安藤勝己騎手引退:決断は昨年の春先「自信がなくなった」 一問一答
2013年01月31日(スポニチ)

 【アンカツと一問一答】

 −−いつ引退を決断したのか?

 「徐々にそういう気持ちが出てきて、確実に思ったのは去年の春先かな…。このまま乗っていいのか悩んだけど、ここは引退するのがベストだと思った。できればもっと長く乗りたかったけど、自信がなくなった。やめると決めてから家族だけには相談した」

 −−騎手人生を振り返って。

 「笠松では本当にたくさんレースに乗って、考えながらやるのが楽しかった。最初はガムシャラで、勝ちたいっていう気持ちばかり。中央に来た頃は自分自身、落ち着きが出てきて、ちょうどいい時期に来られた。マスコミやファンの皆さんの後押しもあって新たな制度(1次試験免除)ができて、すごく感謝しています。年齢的にラストチャンスだと思っていたし、合格してすごくうれしかった」

 −−思い出のレース、競走馬は?

 「オグリキャップは最初の頃は目立たなかったけど日に日にたくましくなって、中央に移籍してからは一ファンとして応援していた。自分が中央に移籍してからは、すぐにG1(高松宮記念ビリーヴ)を勝たせてもらったのが印象深い。キングカメハメハは強い馬で安心して乗っていられたし、ダイワスカーレットは素晴らしいスピードを持った馬だったね」

 −−ここまで長く騎手を続けることができた要因は?

 「笠松でも中央でも周りの方々に恵まれた。あと自分が動物好きだったのは大きい」

 −−後輩ジョッキーに伝えたいことは?

 「みんな技術はすごい。まだまだ伸びるし、切磋琢磨(せっさたくま)してほしい」

 −−引退後について。

 「具体的にはまだ何も考えていない。競馬が好きだから毎週レースを見ていると思う。ファンの皆さんに競馬の魅力を伝えられたら…と思うけど、しゃべるのは得意じゃないし、これから勉強したい」
http://mainichi.jp/sponichi/news/20130131spn00m050022000c.html
-----引用 ここまで-----

 なんかやっぱり寂しいですね。

posted by ウマシカ馬鹿 競馬ブログ at 14:45 | TrackBack(0) | 騎手 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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