古い競馬ファンの中には、クラブ馬主の存在が競馬を衰退させていると誤解している人もいるようですが、クラブ馬主の存在感が増したのは通常の馬主の購買力が下がったせいであり、順番が逆です。
また、いわゆる一口馬主は、本格的な馬主の入り口となっています。
こういった例はかなりあるのですが、一口馬主が調教師になった!というのは、なかなか珍しいでしょう。
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実は、師はかつてセゾンの前身である、JOYレースホースの会員だった。そして、それがこの世界に入るきっかけでもあった。
「大学2年のときに参加したJOYのツアーで、講演会があったんですよ。そのとき講師だった北島牧場(平取)の社長に、将来は調教師になりたいと相談したんです」
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"ちなみに当時の師は、単なる競馬ファン。馬に乗ったこともなければさわったこともなかった。その状態での発言だから、なかなか思い切ったアタックだ"とあるように、考えられない行動力です。
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「講演のあと、この世界のことをいろいろ聞かせていただいて、それで” じゃあ、ウチに来い“と言っていただきました。厳しいぞとかなり脅されましたが」
漠然とあこがれていた調教師という響き。そこに到達するための糸口はつかめたが、しかし我々(?)と変わらぬ一般ファンのひとりである。大丈夫だったのだろうか?
「いや、本当に厳しかったですよ。当時の北島牧場はいわゆる生産牧場とは違って、種牡馬もいたし育成馬も
30頭くらいいましたから。仕事は朝から晩まで、休みもほとんどないという状態でした。でも、そういうものだと覚悟していましたからね」
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「乗馬のキャリアもここからスタート」とのことですから、マジで素人。本当、信じられません。
この当時、1歳馬の鞍をつけるのは特にひどく苦労をしたそうです。そこで、「他でもこんな風にやっているのか?」と思い、"なにかいい方法があるはず"と考えました。
これはかなり貴重な気づきです。自分のところでやっていることが普通だと、人は考えやすいんですよね。ブラック企業の社員が逃げられない一因も、他を知らないというのがあるでしょう。
ただ、この後の松山将樹調教師の行動力が、またすごいです。海外に行っちゃいました。(先程もそうですが、北島社長は器が大きいという逸話です)
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そう思い、海外研修に行くことを北島社長に願い出た。行き先はアイルランド。そのとき、現地のエージェントを紹介してくれたのが、繁幸前社長だったそうだ。
「アイルランドのブレーキング(1歳馬の乗り馴らし)は、北島牧場のとは全く違いましたね。まず、1頭あたりにかける時間が長いんです。(中略)それにしても現地に多かったのは、サドラーズウェルズやカーリアンといった、気性がキツイと言われている馬の仔。それでも普通の馬がなめらかに競走馬へと移行していくんですよ(略)」
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この理由について、松山将樹調教師は、「馬と人との距離感が違うことに」を挙げていました。
アイルランドで調教師をしている児玉敬さんが言っていましたが、アイルランドでは子供の頃から遊びで馬に乗り、当たり前に馬に乗っている人が多いそうです。朝、荒馬の調教をつけてから、馬と関係ない仕事に行く…といった風なんだそうな。
松山将樹調教師は、「アイルランドの人は、それこそ日本人が犬や猫と接するように、馬と向き合っていたんです」という言い方をしていました。
アイルランドってのは、素朴な魅力がありますね。