種牡馬の話は好きですが、今回は種牡馬より「人」が気になっての紹介です。
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ブラッシンググルームの兄弟は全兄のベイラーンと半弟のサイドチャペル(父ラジャババ)が日本に輸入されているが、ブラッシンググルームのデビュー前にベイラーンの購入を決めた故鎌田三郎氏(鎌田牧場)は兄と同じシャンティイのフランソワーズ・マテ厩舎にいたブラッシンググルームを見て一目惚れし、その場でトレードを申し込んだと言う。もちろん、これは実現しなかったが、当時、日高でも一、二を争った目利きを唸せた才能は競馬場で鮮やかに開花する。
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2歳時は、"G1・4 連勝という離れ業を含む6 戦5 勝"で、「欧州競馬が生んだ最高の2 歳馬」と絶賛されました。3 歳時も仏2000ギニーを楽勝するなど、種牡馬成績だけでなく、競走成績にも優れた馬でした。
ところで、この鎌田三郎さんが一目惚れした馬体ですが、力強いというタイプではありません。
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ボディービルダーのような逞しい体つきだった父(引用者注:レッドゴッド)とはタイプが異なり、長じても体高160cm足らずと小柄だったが、現役時代を知る人々はブラッシンググルームの軽やかな走りを「気品に溢れていた」と表現している。
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また、レッドゴッドでおもしろい逸話としては、馬主にしては珍しいセリ馬だったというのもあります。こちらも相馬眼の良さを意味するエピソードでしたね。
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馬主のアガ・カーン4 世は独自の配合理論を駆使してシャーガーやザルカヴァなど数え切れぬほどの名馬を生産し、所有するが、ブラッシンググルームはその服色で走った馬の中では数少ないセリ(当歳時の英国タタソールズセール)での落札馬だった。
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